唯一、喫煙行動を大目に見てしまう存在

「この人たちが喫煙するのだけは、私に邪魔できない」と思ってしまうことがある。

戦争経験者の喫煙を見た時だ。

 

日本人で戦争を経験して存命の方は、高齢の方ばかりになった。

臭いの記憶から。

戦争を生き延びた人が、戦争中に唯一苦痛を忘れられた物かもしれない。

もしかすると、苦痛をともにした仲間を思い出しているのかもしれない。

 

当時はそれだけしかなかったのなら、

たとえ毒であっても、悪臭であっても

戦時中の家族や仲間を思い出すための、道具かもしれない。

そのような重要なものであっても、

他人に迷惑を掛けずに満喫できる場所を国は提供しないのは、

やはり国が悪いよ。

 

だが!

戦後生まれが始めた喫煙はただの甘え。

たとえどんなに酷い生活環境であってもだ。

戦後間もなく生まれた時は大変だっただろう。

しかし、戦争状態とはまったく違う。

二十歳になる頃、日本は成長のまっただなか。

戦時中とはまったく違う輝かしい未来を見ようと思えば見えたはず。

犯罪に巻き込まれて監禁でもされない限り、

第一希望ではないかもしれないが、いくらでも選択肢はある。

煙草以外のまともなものに接することができたのに、

あえて煙草にしたというのは、喫煙者自身が自ら選択を誤ったにすぎない。

そう、それは自己責任!

ああん?子供の頃大変だった?で、大人になってから何年経つの?

ニコチンガムでも噛んでろよ。すぐに禁煙外来行け!

 

一方、

非喫煙者が吸わされる副流煙は、不可抗力。

戦時中に戦争に巻き込まれるのも、不可抗力だった。

為す術がないのだ。

 

喫煙を正当化する人の特徴として、

喫煙を、

さも必要な不可欠ものであるかの如くに、無関係の事例と同一視して語る人がいる。

それは、まったくもって、これっぽっちも正しくない。

必要不可欠なのは、全ての人が安全に呼吸できる空気だ!

 

喫煙者の方に申し上げたい。

喫煙者も非喫煙者もお互い様だと言いたいのならば、

喫煙者だけで、在日米軍の代わりを完全に務めるくらいの

税金納入と命の掛け方をしなければ絶対認めないからな!

それができたとしても、世界が平和になったら完全喫煙禁止だがな。