すべての喫煙者の人格を否定するのは
「すべての喫煙者の人格まで否定するのは良くない
なぜならば、喫煙者の中にはマナーを守っている人もいるからだ」
という、考え方について疑問に思っている。
というか、むしろおかしいとすら思っている。
こう考えている人が非喫煙者なのであれば、
良識ある寛大な人だなあ、我慢強いなあと思う。
一方、(JTに代表される)喫煙者サイドの主張だったら、
はぁ?非喫煙者なめてんじゃねーとしか思えん。
この考え方には、ある前提と傲慢さが隠れていると私は思っている。
その前提とは、
・喫煙者がマナーを守っていれば害はない(はず)
傲慢さとは、
・マナーを守ってやってるんだから、ちょっとぐらい我慢しろや
ということ。
喫煙者がどんなにマナーを守ろうとも、
副流煙を吸わされることを完全に防ぐことはできない。
よって、副流煙の害は防げない。
喫煙行為には何の生産性もなく、自他への害悪のみ。
自分への害だけならまだしも、他人への害がある!
にもかかわらず、
「喫煙」という「嗜好品」を選んだ人の人間性ってどうなの?
という考えに至る。
喫煙者は人格否定されても自業自得ではないの?
実際会って話してとてもいい人であっても、副流煙を吸わされたら
「うへぇ」と必ずなる。
「喫煙者は~」と言われるのが嫌ならば、喫煙なんてすぐやめればいいよ。
やめたら、「元喫煙者は~」って言われるだろうけど、自分で選んだ道じゃん。
さもなくば、
JTに、火事や火傷に絶対ならなくて、副流煙を一切出さない無害なタバコ、
売らせたらいいじゃん!
副流煙の害を、自動車や工場の排気ガスと同じように語る奴、
喫煙者たちでちゃんと同じレベルで基準を定めて喫煙者たちのお金で管理しなヨ!
娯楽で乗ってる車と一緒だって主張するなら、車道のど真ん中で喫煙しなヨ!
工場の排気ガスが一緒だって主張するなら、煙突の先っちょから副流煙出しなヨ!
自分の無駄な趣味の為に他人の空気を汚すな、ヴォケヤニカス!